★ミッドナイト・プレスの本
阿部嘉昭『橋が言う』
A5変型上製 94ページ 本体2400円+税 装丁・土田省三 2017年10月28日発行
このたび、阿部嘉昭さんの詩集『橋が言う』を刊行しました。これは昨年出版した『石のくずれ』に続くもので、帯に「「減喩」を駆使した挑発的でしずかな八行詩集」と謳われているとおり、その詩の方法はさらに深化しました。「減喩」とはなにか。阿部さん曰く、「謎の提示とは異なり、ことばのはこびそれ自体がそこに単純に、理想的にはやわらかく「明示」されているにすぎない」と。この『橋が言う』一巻を、ことばのひびきを味わうように読んでいると、ふと別の時空に移動したような感覚に襲われます。その、しずかだけれども挑発的なことばのたたずまいは、読む者に詩の不思議を薫染させていくようです。
ここでは、そのなかからタイトルポエムを読んでみたいと思います。
橋が言う
橋「木のにおいでうかんでいるんだ
いぬをたかく拉する気概もあった
ふゆのあさここは霜をつなげて
けもののゆれにこそさきをゆずる
ひとはつれそうと前後ができるけど
ゆめのまましぬにふさわしくない
くっついてそいとげるひとでなしを
霜でひやしみちびいているんだ」
ことばは記されているのに、それはなにも意味していない。なにも意味していないのに、それは生きている。この、新たな詩の生成の場を問う詩集『橋が言う』が、ひとりでも多くの方々に読まれることを願っています。
*
〈付記〉『石のくずれ』に続いて、『橋が言う』も土田省三が装丁してくれた。この詩集の装丁決定稿のメールを開いたのは8月28日の朝だったが、その日の未明に彼は心筋梗塞で死んでいたことを夕刻知らされたときは絶句するばかりだった。『橋が言う』はとてもよい仕上がりの詩集となったが、これが土田省三の最後の仕事となってしまった。残念でならない。
石館康平『最後の抱擁』
B6並製 96ページ 本体2000円+税 2017年10月28日発行
このたび、石館康平さんの『最後の抱擁』を刊行しました。
石館さんの詩と散文をはじめて読んだとき、いったい、この人はどのように詩の研鑽を積み重ねてきた方なのだろうと思ったものですが、その後実際にお会いして、石館さんが長く医学生物学領域の研究に従事されてきたこと、60歳を迎えた頃から詩を書き始められたこと、今年80歳を迎えられたことなどを知りました。まずは冒頭に置かれた詩を紹介したいと思います。
夏は終わらない
道は真っ白だ
空は真っ青だ
家は真っ暗だ
そして誰もいない
暑熱の祭りは突然に終わる
夏は疲れぬままに熟し
秋の到来に譲るためではなく
来るべき夏のために退(しりぞ)く
いつだって何かが終わっている
終わって欲しくないものについてほど
終わりの兆しを捜し求める
つかんだときの倒錯の勝利、やがて受け入れる敗北
なんと静かで大きな退場なのだろう
夏よ
無償の豊饒よ
純粋な空虚よ
一般に、詩は、読む人それぞれに印象が異なるものですが、この詩は、読む者に、詩において、なにか不可避な、そしてある種決定的な印象を刻印するものがあるような気がします。それがなんであるか、すぐにわかるものではありませんが、それはなんだろうと考え始めたとき、ひとは、この詩集を最後まで読むことになるのではないでしょうか。この奥行きの深い詩集が、ひとりでも多くの方々に読まれることを願っています。
そとめそふ『卵のころ』
A5上製 68ページ 装丁・佐々木葉月 本体2000円+税 2016年11月27日発行
このたび、そとめそふさんの『卵のころ』を刊行しました。え、そとめそふ?と思う人も少なくないと思いますが、これは五月女素夫の名前でこれまで五冊の詩集を出してきた氏の第六詩集にあたるものです。この詩集の出版に際して、五月女素夫からそとめそふへと名前をあらためた理由は奈辺にあるのでしょうか。名詩集『美しきラア』以来、長く彼の詩を愛読してきた者として、書きたいことは多々ありますが、いまは、「あとがき」に「詩は、ただ詩であればいいと思う」と記されたことばに無量の感慨を覚えます。この詩集について、版元として、これ以上加えることばはありません。ただ、一行一行、ゆっくりと味わっていただきたいと思います。
ヨコ書きで書かれた短詩集「poem essence」、四行詩19篇からなる「フランケン、きみの見たゆめ」、そして6篇の詩という、三つのパートからなるこの詩集から、どの詩を紹介したらいいのか……。とりあえず、いまは、校正しているとき、しばし立ち止まった二行を引いておきます。
考える ということ そのことがもう
ずいぶん 淋しい行為だったのかもしれない
河江伊久『冬の夜、しずかな声がして』
A5上製 108ページ 装丁・大原信泉 本体2200円+税 2016年10月28日発行
このたび、河江伊久さんの詩集『冬の夜、しずかな声がして』を刊行しました。河江さんはこれまで短編小説を書かれてきた方で、これは最初の詩集です。物語風の長い詩で構成されていますが、鍛えられた散文は作品の構造に奥行きを生み、そこに著者固有の詩的センスがスパークするとき、現実界と異界とを融通無碍に行き交うものたちの時空に、読む者はいざなわれます。それは、詩を読む快楽の時といえるでしょう。
長い詩の一部を引用するのはむずかしいことですが、タイトルポエムの第一連を引いてみます。
夜が扉を叩いていた。
風が止むと微かに聴こえた。木の枝を手にしてノックしていた。
わたしは森の小屋で漆黒の闇をまとい、心のなかに侵入してくる闇の深さを量っていた。
その者は雪の匂いをさせて近づいてきた。
凍った羊歯類の匂い、太陽の光を百遍も通した皮の匂い、他の生き物との闘いで傷ついた血の匂いが、闇からたちあがってきた。
(「冬の夜、しずかな声がして」から)
高鶴礼子『鳴けない小鳥のためのカンタータ』
A5並製 100ページ 装丁・土田省三 装画・高鶴ゆい 本体2100円+税 2016年9月14日発行
このたび、高鶴礼子さんの新詩集『鳴けない小鳥のためのカンタータ』を刊行しました。高鶴さんの詩を紹介しようとするとき、詩の一部を引いて語ることはむずかしい。なぜならば、その詩は、第一行から最終行まで、立ち止まらせることなく、凝縮された世界を一気に読ませるものだからです。それを承知の上で、あえて引用したくなるのは、例えば次のような詩句です。
凡々たる生の、ところどころにある凡々たる煌気
なんということのない連鎖ではあるが
一つでも欠けていれば
ここまで届かなかった
これは「一期」という詩の一部ですが、ここには「歴史」と対峙する詩人の精神が感じられます。それはこの詩集一巻を読み終えたときにあらためて知らされることです。「踊りも/歌いも/語りも/まだ未分化であったころ」から、「川柳翁立机より/二百五十年の夏」まで、時空を駆ける精神が見たものが、一行も弛緩することなく刻印されたこの詩集が、多くの方々に読まれることを願っています。下に、詩集から一篇の詩を紹介します。
なお、高鶴さんは、一方で、川柳作家として、川柳の創作を続けるとともに、「ノエマ・ノエシス」という川柳雑誌を編集発行されています。高鶴さんの川柳と併せて詩を読むと、さらにその精神の奥行きにふれることができるでしょう。
ぼろくそのうた 高鶴礼子
ぼろくそがぼろくそを笑ってぼろくそが
ぼろくそと言われたと怒ってぼろくそが
ぼろくそと言われると腹が立つけどそれ
はぼくがぼろくそということだと、ぼろ
くそのぼくがそのぼろくそに告げるとそ
のぼろくそはぼろくそなりに覚悟したと
みえて、しずかにぼろくそをぼろくそし
たのでぼろくそはぼろくそするものでは
ないと思っていたぼくはぼろくその新た
な一面を知ってぼろくそをよりぼろくそ
に極めることができたと思ったが、しょ
せんぼろくそはぼろくそだと言われ、ぼ
ろくそなりにぼろくそを吼えまくること
をして吼えることをおぼえたぼろくその
ぼくはずっとぼろくそだったけれどぼろ
くそなりにきょうも吼えまくれとぼろく
そであるじぶんに言い続けて吼えまくっ
ているのさ、ぼろくそぼろくそとぼろく
そのままにぼろくそぼろくそと顔を上げ
て
阿部嘉昭『石のくずれ』
A5仮フランス装 210ページ 装丁・土田省三 本体2800円+税 2016年7月28日発行
このたび、ミッドナイト・プレスでは、阿部嘉昭さんの新詩集『石のくずれ』を刊行した。この、十行前後の詩が百篇収められた詩集は、読む者にいろいろなことを考えさせる。タイトルポエムを読んでみよう。
石のくずれ
石がそこにあるさまはみえるが
あることの持続じたいはみえない
しずかさへのおびえとはそんなもので
ひろってなげるうごきをつくりあげ
わずかなとおさを野へ設計すると
くうきが波紋めいたおのれをゆらし
ずれたがるこの世がたしかにずれ
音のさそいであるしずかな石も
うるわしくうちがわがくずれだす
この詩は、読む者によって、いかようにも読むことができるだろう。また、この詩には、それを可能とする開放度がある。それがこの詩の、この詩集の魅力であろう。だが、この詩を、いや、この『石のくずれ』一巻を読み終えたとき、印象深く刻印されるのは、この詩集には、痕跡がないということである。痕跡がなくされている、と言い換えてもいい。それは、具体的に、なにがと云えるようなことではない。ただ、「痕跡」としかいいようのないもの、それが跡形もなく消失しているのである。そして、そこからから浮かびあがってくるのは、いま詩を書くことと自覚的に向かい合っている詩人の像である。
いま新たに詩の領野を拓こうとするこの詩集が、ひとりでも多くの方々に読まれることを願っている。(2016.7.9)
*なお、全国の書店からの注文受付やネット書店への注文受付については、いましばらくお待ちいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
平井弘之『浮間が原の桜草と曖昧な四』
装画・タカハシタツロウ 装丁・渡部健 A5変型上製250頁 2016年1月18日発行
このたび、平井弘之詩集『浮間が原の桜草と曖昧な四』を刊行しました。これは、「生涯制作1万篇に向けて」ブログで「日刊詩」を発表してきた平井弘之さんの最後の詩集です。平井弘之さんは、二〇一四年五月、泉下の人となりました。著者が残した編集案をもとに編まれたこの詩集には、二〇一一年から二〇一四年まで書かれた五十一篇の詩が収められています。日刊詩を書き続けてきた著者の声門上に癌が見つかったのは二〇一三年三月。著者の編集案には、「入院(二〇一三年四月〜六月)前後制作の詩を「3.8以降の詩」としてまとめる」と記されていましたが、この詩集一巻を読み終えたとき、「3.8以降」に書かれた詩が、ひとつの頂点を極めていることが伝わってきます。意味からどこまで遠く行けるかを試行した詩人の、詩と生とのダイアレクティクが刻印されたこの詩集がひとりでも多くの人たちに読まれることを願っています。
誰と遊んでいたん?
木星人
なにしてたん?
色薄め、色まぜ
楽しかった?
かなしかった
ずっと続いていかなかったから
(「色薄め、色まぜ」から)
久谷雉『影法師』
A5変型 上製 82頁 装丁・土田省三 本体2200円+税 2015年12月11日発行
このたび小社では、久谷雉さんの第三詩集『影法師』を刊行いたしました。久谷雉さんは高校生の時、「詩の雑誌midnight press」の「詩の教室」に投稿して、清水哲男氏の推薦で詩集『昼も夜も』を出版しました。その詩集で第九回中原中也賞を受賞したのは、二〇〇三年、十九歳の時でした。そして、二〇〇七年刊行の『ふたつの祝婚歌のあいだに書いた二十四の詩』を経て、このたび出版された『影法師』では、その彫琢されたことばの密度と深さに驚かされると同時に、この詩集が、詩の新たな方位を提示していることを知らされます。
おぼへてゐるか
家鴨のゐる町で暮らした夏を
麦藁帽子のふくらみを
豆の葉の匂ひのする
おまへの汗がやはらかくした夏を
(「家鴨の町」から)
生から生活へと、生活から生へと、渡り歩くものの一瞬をとらえたことばは、詩とはこのようなものであったかと、詩の本来を思い出させます。繰り返される「おぼへてゐるか」が指し示すその向こうには、新しい詩のかたちと、詩人の覚悟が見えるようです。
私の言葉よ しぐさよ
そして詩よ、
ほろびるときは 精一杯
だらしなく手足をのばすがいゝ——
(「坂道」から)
詩の現在に刮目すべき一歩を記したこの詩集が、ひとりでも多くの方々に読まれることを願っています。(2015.1.27)
井上輝夫『青い水の哀歌』
A5変型・上製・函入り 本体2500円+税 装画・渡辺隆次 装丁・大橋泉之
2005年に刊行された『冬 ふみわけて』に続いて生まれた井上輝氏の新詩集『青い水の哀歌』は、日本の詩歌の再検証、そして言葉の本質についての深い考察から生まれた意欲的な詩集です。詩の可能性に向けていま一度踏み出す、繊細にして大胆な詩句は、読む者を大いなる旅へといざなうでしょう。いま、詩とはなにかを考えるとき、必読の詩集です。多くの方々に読まれることを願っています。
「現代詩手帖」2015年12月号から
八木幹夫『渡し場にしゃがむ女』
四六判・上製 本体2500円+税 装丁・大原信泉
西脇順三郎といえば、大学教授の書いた難解な詩と思われがちですが、この『渡し場にしゃがむ女』では、八木幹夫さんが、『旅人かへらず』をはじめとする、西脇順三郎の主要な詩集を精緻に読み解くことで、西脇順三郎の新たな像を立ち上げています。西脇順三郎の詩について書かれた本は意外と少ないのですが、今後、この『渡し場にしゃがむ女』を読まずして、西脇順三郎を語ることはできないであろう、充実した一冊の本となったと思います。
書名の由来について書かれた「あとがきにかえて」も味わい深い文章で、1983年に出版された八木さんの第一詩集『さがみがわ』を思わず読み返していました。
この本が、詩を愛する多くの人たちに読まれることを願っています。
石原明『パンゲア』
B6並製 本体1500円+税 装丁・大原信泉
『パンゲア』は、2012年に句集『ハイド氏の庭』を出版し、この九月に詩集『雪になりそうだから』を出版された石原明さんの二冊目の詩集です。大学卒業後、詩から離れてしまった石原さんが再び詩を書きだしたのは、2004年秋に開催された「ヴィスコンティ映画祭」の衝撃によるものだったそうです。「この詩集で、私の中で六十年代で止まっていた時計を今更のように動かしてみた」と石原さんは「後書き」で書いていますが、詩作と新たに向き合うことで記されたことばの質感を味わうことができる詩集だと思います。多くの方々に読まれることを願っています。
芹澤春江表現集『呼吸ととのへり』
A5上製 本体2300円+税 装丁・大原信泉
芹澤春江さん(九十八歳)の『呼吸ととのへり 芹澤春江表現集 八十九年折々の思い*短歌・俳句・詩・小説・散文』が五月末に刊行されます。これは、2005年に私家版として制作されたものですが、本書に収録された「年をとるってどんなこと」という詩が、いま「大黒様と兎」のメロディーに乗って口ずさまれていることが共同通信社配信の記事などで全国の新聞で紹介され、新しい読者を獲得しています。
この本が、さらに多くの方々に読まれることを願って新版を刊行することにいたしました。
年はとるとるみんなとる
誰でも同じ年をとる
どうせとるなら元気よく
楽しく年をとりましょう
(「年をとるってどんなこと」より)
これは、芹澤春江さんが八十四歳の時に年賀状に書いた詩です。「なんとなく出来た詞ですが自分で唱っています。曲は『大黒様と兎』を借用させて頂いております。歌ってみて頂ければうれしく幸せです」。年をとることを、肯定的に受けとめるこの詩が、いま広く受け入れられています。
芹澤春江さんは、若いときから、短歌をはじめとして、詩・俳句・小説・散文など書かれてきましたが、それは自分の内面をみつめることでもあったようです。
梟の魂呼ぶや小夜中のわれはひそかに呼吸ととのへり
この、年とともに呼吸をととのえることを学んできた芹澤春江さんの『呼吸ととのへり』がひとりでも多くの方々に読まれることを願っています。