編集者の手帖

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2014年1月1日 ミッドナイト・プレス 岡田幸文
12月30日(月)晴れ
2013年が暮れようとしています。
みなさまにはたいへんお世話になり、ありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。
ミッドナイト・プレス 岡田幸文
12月27日(金)曇り時々雨
師走27日、今日は特記すべきこと二件あり。「去年今年貫く棒の如きもの」のごとく、ENIGMAの〈EPPUR SI MOUVE〉を聴く。
12月26日(木)曇り
このところ、ゆっくりと音楽に耳を傾ける時間もなく、ただ時間が過ぎていくのを呆然と見送っている。昨日、久しぶりにジョンとヨーコのHAPPY XMAS(WAR IS OVER)を聴いたが、とても沁みた。
今年も残り少なくなった。やらなければならないことはたくさんある。この右にあるコンテンツ欄が、midnight press WEB創刊以前の状態のまま放置されていることも、気になることのひとつである。年末年始の時間を使って、整理しなくてはいけない。

12月24日(火)晴れ
本日、midnight press WEB連載の「山羊散歩」その三「西脇順三郎逍遥 小千谷編」をmidnight press WEB archive tumblrにアップしました。
その下に、ミッドナイト夏のお茶会の、小林レント+古沢健太郎のライヴパフォーマンスと平井弘之の朗読の画像がアップされています。
12月22日(日)晴れ
midnight press WEB archiveのtumblr版が始動しました。これから充実させていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
12月9日(月)曇り
12月8日——と書くと、1980年12月8日のことが思い出される。思い出したくないこともある。2013年12月8日、溜池山王・Hispanicaで、La Voix des Poete 1023回、平井弘之の「聲」を聴く。第一詩集『忘れ女たち』全篇を「聲」で聴くというものだが、平井弘之の身体を通して現われてくる「聲」をたしかに聴くことができたと思う。「用意の姿勢で仰向けになっていく」というフレーズが心に残った。平井弘之は全身を使って「聲」を出していた。かなりハードな試みではなかっただろうか。迂生には、あのように「聲」を出すことなどとてもできないだろうと思った。
その後、渋谷で三年ぶりにPと会う。セルリアンタワーホテルで、紅茶一杯を飲みつつ、五時間ほど話した。「腹が減ったな」ということで、閉店間近の「一番」でラーメンを食べる。この店に入るのは何年ぶりだろう。この界隈もずいぶんと変わってしまった。さまざまな時間が交錯するなか、12月8日がまもなく終わろうとしていた。
12月5日(木)晴れ
本日、midnight press WEB第八号を発行しました。
contents
・詩 近澤有孝「他人の噂」
・midnight critic 福本順次「ぼくの石原吉郎—伝説の後に—」
・midnight winter poem collection
・詩の教室「欠落した過去のほうから」 小林レント
・連載
浅野言朗「詩情と空間 7」
「そよ風#6」硬直した精神
中村剛彦のPoetry Review⑧「3・11」が消えるとき
12月1日(日)晴れ
本日発行予定であったmidnight press WEB第八号の発行は都合により少々遅れます。12月5日頃の発行を目指して鋭意進行に努めています。いましばらくお待ちいただければ幸いです。
11月29日(金)晴れ
midnight press WEB第八号発行に向けてあともう少し。
辻井喬氏が亡くなられた(11月25日。享年86歳)。ご冥福をお祈りいたします。
10月23日(水)曇り
飯島耕一氏が亡くなられた(10月14日。享年83歳)。たいへん驚いている。たいへんショックを受けている。ついこの前も、飯島さんの「萩原と西脇」や『田園に異神あり』、あるいは飯島さんが訳されたアポリネールの詩などを読み返していたのだが、今朝、清水哲男さんのツイッターを見て、飯島さんが亡くなられたことを知り、愕然とする。
飯島さんのことを思い出しながら手にとったのは、「詩の雑誌midnight press」31号である。この号の巻頭に、飯島耕一氏の「青空と胃酸」という詩が掲載されている。「空は青い/朝 大量の胃酸を吐いたあとのように」という冒頭の二行は、いかにもシュルレアリスト・飯島耕一を彷彿とさせるもので、その後の詩行の展開も、読む者をつかんではなさない。巻末の「今号の執筆者」欄で、飯島さんは書いている。
「『ミッドナイト・プレス』に詩を発表するのは初めてのはずだ。本誌の書き手はグンと若い人が多く、日頃より緊張して『青空と胃酸』に首を突っ込んだ。出来上って三、四日して西永良成の新著『激情と神秘——ルネ・シャールの詩と思想』を手にした。詩はやはり『激情』である。」
飯島さんの詩をもっと読みたかった。
飯島耕一氏のご冥福をお祈りいたします。合掌。
10月20日(日)雨
道元は、「文筆詩歌等そノ詮なきなり。捨ツべき道理左右に及ばず」と云った。これは、仏道をおろそかにして、文筆詩歌に身を入れる僧たちを念頭に置かれたことばであるようだが、文筆詩歌の道と仏道とが背馳することに無自覚ではなかった人のことばであろう。その道元が六十余首の和歌を詠んでいたことが、道元示寂後約百七十年を経て、明らかとなる。その道元の歌を時折り読み返すことがある。
冬草も見えぬ雪野のしらさぎはおのが姿に身をかくしつつ
この歌には、「礼拝」という題が付されているので、「道歌」の類いかと思われるが、「和歌仏道全無二」「歌道即仏道」ということばを想起させるところもあり、かんたんに読み過ごすことができない一首である。ここに歌われている「白」なるものには、なにやらマラルメの「白」が見え隠れしているような気さえしてくる、というのは思い過ごしというものだろうか。とまれ、ここには仏道と歌道とが止揚された稀有なる時が刻印されているように思われるのである。
このところ西脇順三郎を読むことが多い。西脇順三郎のフラヌールからなにが見えてくるのだろうか。そんなことを考えているときに、道元の和歌とまためぐりあった。
〈お知らせ〉
midnight press WEB第八号「詩の教室」の投稿締切は10月31日です。
宛先は、mpwebclass@gmail.com(テキストファイルまたはワードの形式でお送りください)。
投稿は、一人三篇以内。
すぐれた作品については、midnight press WEBで小詩集を組みます。
〈井上輝夫講演会「詩人 西脇順三郎を語る」のお知らせ〉
いまだ本格的に語られることが少ない西脇順三郎の詩と詩論について、詩人・井上輝夫氏がこれまでにない新しい角度から語る講演会が下記のとおり開催されます。
日時 2013年10月17日(木)13時〜15時30分
会場 慶應義塾大学日吉キャンパス 来往舎シンポジウムペース
会費 一般1000円 学生無料
主催 西脇順三郎研究会
予約・問合せ 講演会事務局(中村 電話070・5579・1564)
9月9日(月)晴れ
本日、midnight press WEB第七号を発行しました。
好評「山羊散歩」の第三回「西脇順三郎逍遥 小千谷編」、芹沢俊介氏の「宿業の思想を超えて 親鸞と吉本隆明」、そして新連載の「詩の教室」など、読み応えのある39ページのヴォリュームとなりました。ご一読いただければ幸いです。
contents
・詩 上田假奈代「七夕まで」
・山羊散歩第三回「西脇順三郎逍遥 小千谷編」八木幹夫
・芹沢俊介「宿業の思想を超えて 親鸞と吉本隆明」
・書評 三原由起子『ふるさとは赤』 久谷雉
・浅野言朗「詩情と空間 6」
・「そよ風」「大人」の世界
・詩の教室 講師・小林レント
・midnight children's book review もふもふうさこ
・中村剛彦のPoetry Review⑦ 映画『風立ちぬ』にみる「戦後精神」の虚偽
8月10日(土)晴れ

百合の花は、いつ見ても凜としている。甘い香りも気持ちよい。この花のまわりでは、空気もすずしくなるようだ。
7月29日(月)雨
「思い出す」とは、どのようなことを含意するのだろう。その前日のことを意識的に「思い出す」ことに集中したとき、「思い出す」ことのなんたるかが、霧が晴れてくるように、了解されるときがある。
「思い出す」ということで、「思い出される」詩がいくつかある。それは、例えば次のような詩である。
Remember John Lennon(試訳)
思い出すんだ 君が若かった時を
英雄は決して捕まらず
いつも逃げたものさ
あいつがいつも君のものを奪い取り
君をがっかりさせたことを思い出すんだ
気持ちを変えたいと
昔のことを忘れようとするならば
思い出すんだ 今日 思い出すんだ
……
前世の暮らし シャルル・ボードレール(安藤元雄訳)
長いこと私は暮した 広大な柱廊のもと
海の太陽が千の焰でいろどるあたり、
巨大な柱が、まっすぐにおごそかに立ち、
日暮には、玄武岩の洞窟かとも見えるところ。
うねりは、空の景色を揺さぶりながら、
荘厳な 神秘な仕方で織りまぜていた
その豊かな音楽の力強い和音のひびきを
私の目に映る落日の色彩の中へ。
そう そこだった おだやかなよろこびのうちに私が、
青空と 波と、輝きのさなかに生きたのは。
香油をぬった、裸体の奴隷にとりまかれ、
彼らは棕櫚で私の額を扇いでくれたが、
その気づかいはただ一つ もっと深めることだったのだ
私を衰弱させて行く苦しい秘密を。
それは昨日のことでもいい。あるいは三十年前のことでもいい。あるいは……。それがなんであれ、意識的に「思い出す」という行為に集中するとき、一挙に時空を駆け抜けたという思いにとらわれるときがある。「思い出す」ことを「思い出した」とでも云えばいいのだろうか。
〈お知らせ〉
ミッドナイト・プレスでは、このたびmidnight press WEB上で、「詩の教室」を開講することにいたしました。「教室というと、詩が散文に学ぶふうになってしまいがちですが、逆の通路もあります。散文は詩に学ばなければなりません」。これは、「詩の教室」の講師・小林レントさんの「開講の言葉」の一部です。「開講の言葉」全文はmidnight press WEB第六号21ページに記されていますのでお読みいただければ幸いです。
http://www.midnightpress.co.jp/mpweb-6.pdf
「詩の教室」の投稿規定は下記のとおりです。
・宛先 mpwebclass@gmail.com(テキストファイルまたはワードの形式でお送りください)
・一人三篇以内
・第7号締切り2013年7月31日。
*すぐれた作品については、midnight press WEB上で小詩集を組みます。
みなさまの詩の投稿をお待ちしています。
2013年6月20日 ミッドナイト・プレス 岡田幸文
6月3日(月)晴れ
本日、midnight press WEB第六号を発行しました。読み応えのある内容となったと思います。ご一読いただければありがたく存じます。
contents
・詩 栗原知子「自意識果樹王と太陽いっぱいの国」
・midnight critic 井上智洋「なぜ我々は有用性を測られる存在なのか? —軍事革命・資本主義・ヨーロッパの病—」
・midnight summer poem collection 2013年 夏の詩 十一篇
・詩人の肖像 渡辺はじめ「鷲巣繁男の詩 —手放さなかった軍隊手帳—」
・浅野言朗 「詩情と空間 5」
・「そよ風」 「詩学」を記憶にとどめつつ
・midnight gallery 「召集」 小林レント(詩/声) 古沢健太郎(音楽/写真)
・中村剛彦のPoetry Review ⑥「純粋性」の罠と「詩人」の破綻
・「詩の教室」開講のお知らせ
5月1日(水)曇り
「美しい五月」、ナイスなブックカヴァーをいただいた。裏地もまた味わい深く、すてきな栞もついている。よく見ると、裏地の模様のつながりにも神経が張り巡らされていて、このブックカヴァーをつくるのに費やされた時間が伝わってくる。このブックカヴァーをかけた本を読むと、アタマが冴えてくるような気がする。

〈お知らせ〉
midnight press WEBを、いま以上に多くの方に読んでいただけるよう、PDF版のほかにHMTL版(ホームページ仕様版)を作り、まずmidnight press WEB第五号ホームページ仕様版をアップしました。今後、順次、創刊号からのデータをアップしていく予定です。よろしくお願い申し上げます。(2013年4月23日)
2013年4月9日(火)晴れ

2013年4月2日(火)雨
リュクサンブール公園の小道 ジェラール・ド・ネルヴァル(井上究一郎訳)
あの子は通りすぎた、あの少女は、
小鳥のように、快活(ヴイヴアーチエ)に、急速(プレスト)に、
手に一輪の花をきらめかせ、
口に新しいルフランを残して。
おそらく、この世で、あの子だけだ、
その心が私の心と通い合うのは、
私は深い夜のなかにやってきて、
ちらと一瞥するだけでその闇を明かるくしてくれるのは!
だが、もうだめだ、——私の青春は終った……
さようなら、私に輝いたやさしい光、——
花の香、少女、そして音楽よ……
幸福は過ぎて行った、逃げてしまった!
ロッシーニを聴いていると、いつもネルヴァルの「幻想(ファンテジー)」を思い出す。今日もまた井上究一郎氏の『シテールへの旅』を開いて読み始めたのだが、今日は「ファンテジー」の前に置かれた詩「リュクサンブール公園の小道」に惹かれて繰り返し読んだ。これは『オードレット集』からの一篇。odeletteとは、小オード、小曲という意味だが、白秋流にいえば、抒情小曲ということになるのだろうか。
2013年3月24日(日)曇り

今年の桜は開花が早くて、白子川の桜も満開となった。この写真の向こう側にある橋のたもとからこちらを見ると、川にかかる桜が祇園・白川の桜を思い出させて風情があるのだが、ここから見る桜は、いつも春がくるたびにsense of wonderを教えてくれる。
いまラジオで、ヴォルフガング・サヴァリッシュの最後の来日公演となった(2004年11月)、ブラームス「第一交響曲」の演奏を聴いていた。N響を振った指揮者のなかでは、ロヴロ・フォン・マタチッチとともに強く印象に残る人で、サヴァリッシュ逝く(2月22日)のニュースを聞いたときはしばし絶句した。ブラームスの一番は僕の好きな音楽のひとつであるが、サヴァリッシュのブラームスはこれからも聴いていきたいと思う。
2013年3月2日(土)晴れ
本日、今号から季刊化したmidnight press WEB第五号を発行しました。好評の「山羊散歩」、第二回は、八木重吉の産土を訪ねました。
contents
・詩 添ゆたか「踏切」
・山羊散歩 その二「八木重吉の産土」 八木幹夫
・midnight critic 大家正志「詩は詩人の外部に?」
・浅野言朗 詩情と空間 4
・小林レント ショー・ウィンドウの世界観
・「そよ風」 ほどよい健康さ
・中村剛彦のPoetry Review 不気味なる現代の「日本の詩」
2013年2月21日(木)晴れ
本日、「詩の図書館」を更新しました。新しく収蔵したのは、倉田良成氏の『歩行に関する仮説的なノート』です。
midnight press WEB第五号は、3月1日発行予定です。

2013年2月1日(金)晴れ
あっという間に、一月が過ぎていった。白子川沿いに並ぶ桜の木々にもつぼみがつきはじめたようだ。外から帰ってくると、日本古流という華の道を学んでいる家人が、稽古から持ち帰ってきた桜の小枝を生けていた。桜は、青い空の下で見るに限るが、部屋の中で酒を飲みながら眺める桜にもまた味わいがある。

2013年1月20日(日)晴れ
岩波文庫から『自選 谷川俊太郎詩集』が出ると知ったのは、「図書」2012年12月号であった。発売日当日(1月16日)、即購入して、電車の中で、まずは「まえがき」「目次」「解説」の三本を駆けるように読み終えた。谷川さんの詩集でいちばん好きなもの、というか、いちばん大事なものを挙げるとすれば、それは角川文庫の『谷川俊太郎詩集』(昭和43年12月20日初版発行)だろう。僕がもっているのは、昭和46年9月30日発行の六版だが、この詩集はよく読んだ。それは、この詩集の編集構成がかっこよかったからだと思う。大岡信氏の「解説」も明快だ。その後、文庫版などでいくつか谷川俊太郎さんのアンソロジーが出されたが、その完成度において、この角川文庫版を超えるものはなかったように思う。このたび、岩波文庫版『自選 谷川俊太郎詩集』を手にして、その理由がわかった。いや、昔からわかっていたのだが、確信した。それは、「自選」の力だ。岩波文庫版の「解説」に、「自選集というと、一九六八年に編んだ『谷川俊太郎詩集』(角川文庫)以来だ」とあるように、これは谷川さんの二冊目の自選詩集である。角川版の「あとがき」、そして岩波版の「まえがき」を読み、それぞれに収められた詩篇を読んでいくと、谷川さんの「自選詩集」を編む態度のようなものが伝わってくる。角川版を編むときは、「まだ一一の詩集から一九一篇の詩を選べばよくて、むずかしくはなかった」のに、「いま半世紀近くたってみると、六〇冊をこえる詩集におさまる詩の数は、二千数百にふくらんでいる」(以上、岩波版「解説」から)。そこから、一七三篇の詩を「迷いもあまりなく、ほとんど即興的に選んでしま」(「まえがき」から)い、一冊の自選詩集を編むことができるところに、詩人・谷川俊太郎の詩人たる所以を知らされた。岩波版『自選 谷川俊太郎詩集』を手にして、まず思ったのはそのことである。『二十億光年の孤独』や『六十二のソネット』などの初期詩篇の「自選」の微妙な違いなど、細かく読んでいけば、新しい発見を愉しむこともできるだろう。だが、いまは、「意外に遠くからやつてきた」(三好達治)詩人について、さらに深く考えなくてはいけないと思うばかりだ。そう、僕はこの岩波版『自選 谷川俊太郎詩集』で、谷川さんと「再会」したのだった。
2013年1月14日(月)雪
(承前)
人と人とのあいだを
美しくみよう
わたしと人とのあいだを
うつくしくみよう (八木重吉「ねがい」から)
この、ことばのアクロバットのような業(わざ)を統べるものは、修辞ではなく、理念にかかわるものであろう。このことばを読んでいると、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治のことばが思い出される。
そしてあらためて重吉の「聖書」という詩を読むとき、これは彼の詩論ではないかと思われてくる。
この聖書(よいほん)のことばを
うちがわからみいりたいものだ
ひとつひとつのことばを
わたしのからだの手や足や
鼻や耳やそして眼のようにかんじたいものだ
ことばのうちがわへはいりこみたい
2013年1月13日(日)
昨日は、「山羊散歩」第二回の取材ということで、八木幹夫さん、郷土史家の田中次雄さん、水島英巳さん、それに中村、岡田の5名で、八木重吉ゆかりの場所を散歩した。その詳細は、3月1日発行予定のmidnight press WEB第5号に掲載されるので、以下、散歩しながら思ったことを記したい。
八木重吉が生まれ育った土地を散歩しながらあらためて思ったことは、重吉の平明なことばの背後にはたくさんの葛藤が秘められていたに違いないということであった。重吉の詩のことばの力がどこからやってくるのかと考えるとき、それはひっきょう、生きることのかなしみとしか云いようがないものからであろうと思われた。重吉の子供たちの書は立派なもので、それだけでも見る者に感慨を催させるが、それを通して迫ってくる八木重吉の生のありように思いをいたした。「生きることのかなしみ」などと書くと、よくある人生詩や抒情詩ととられるおそれがあるので、ここは注意深く書かなくてはならないところだが、思想詩人としての八木重吉がもっと語られていいと思った。もとより、それをさらに解明するには、重吉の詩と深く向かい合うことがもとめられるだろう。
田中さんの先導で、重吉ゆかりの場所を散歩することができたが、詩碑のひとつに次のような詩が記されていた。
ねがい
人と人とのあいだを
美しくみよう
わたしと人とのあいだを
うつくしくみよう
疲れてはならない
八木重吉
あけましておめでとうございます。
今年の目標とあらためて云えるほどのものはありませんが、今年は、昨年創刊したmidnight press WEBをさらに充実させていきたいと考えています。昨年は、隔月刊を謳い、4号まで発行することができましたが、少々トバしすぎたかという反省もあり、今年は年4回発行の季刊とすることにしました。誌面の充実を図るには、詩と深く向かい合うことが、いまのミッドナイト・プレスには必要だと思われるからです。詩に沈潜する。それは〈世界〉からの撤退を意味するものではありません。〈世界〉と対峙すればするほど、「沈潜する」ことの意味、重みが体感される。そんな身体感覚を手放さずに、一歩一歩前に進んでいきたいと思います。新生midnight press WEB第5号は、3月1日発行です。
みなさまにとって、今年がよい年となることをお祈り申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2013年1月1日 ミッドナイト・プレス 岡田幸文