Poetry Review18  詩を読むよろこび

 今年の3月末でミッドナイト・プレスの副編集長を辞し、一介の「書き手」として専念しながらこの連載をつづけようと思い、しばらく自分の詩の原点を見つめなおしていた。ゆえにこの連載もながく停滞してしまったが、これからまた再始動しようと思う。

 まずは原点、であるが、大したことではない。要は詩を読む習慣のことである。

 10代半ばくらいから詩が好きで書いてきたが、もともと詩を書くことが下手であるため、当時からどうしたら上手く詩が書けるかと毎日1、2篇ゆっくり詩を読む習慣が知らずにつきいまに至っている。たいていは朝、直感的に本棚から詩を選ぶが、気に入れば数日はそれを書いた詩人の詩をよみつづけ、気に入らなければ次の日は別の詩人の詩にきりかえる、といった適当な読み方である。1篇を読み終わると、その後1日、その詩作品から得られたさまざまな感覚を頭と体に巡らし、いったい詩人がなにを考え、どうやって詩句を練り最終行まで書き切ったかを考える。そして夜寝る前にまた同じ詩を読み、なるほど、と分かった気になるのである。

 そのような読書ならぬ読詩の習慣をほぼ30年繰り返してきたが、もちろんそのような詩の読み方で凡人の詩が上手になるわけもない。とはいえ、わたしにとってのこの読詩習慣は、詩が上手くなる以上に、大袈裟だが人生の支えになっている。格別に感動を与えてくれた詩と出会ったときなどは、どこぞの三ツ星レストランの料理を食した以上のよろこびをもたらしてくれる。

 食と詩を比べるのはいかがなものかと怒られそうだが、詩を読む欲求は、わたしにとって人間の根本欲求の食欲以上に深い。だから文弱の徒などと謗りを受けるのであるが、甘んじてその言葉を受け入れる。いやむしろ、わたしにとって詩は酒のようなものである。大衆酒場で飲むか、高級ホテルのバーで飲むか、ひとり自分の部屋で飲むかはそのときそのときの気分次第であるが、とにかく酒をやめろと言われてもやめられないのと同じに詩を読むことをやめられない。

 ただ唯一わたしが残念に思うのは、この世界にはあまたの美酒が生成されつづけているにもかかわらず、そのうちのほんの僅かなものしか一生のうちに飲むことができないということである。おそらくわたしが生まれる前も、死後もわたしが飲んだ酒よりも数段すばらしい酒が世界にはありつづけるに違いない。

 そうした、詩の無限生成のなかで、みずからの有限の生をいかに生き、死を迎えるのか。そしていかなる詩と出会い、詩を読むよろこびを得つづけられるか。さらにはいずれは「詩とはなにか」の回答をみつけられるか。これがいまの率直な詩についての思いであるとともに、10代から変わらずつづいている思いである。

 しかし実は、すべての問いに回答が孕まれているように、この問いはすでに解決済みでもあるといえる。たとえば「詩とはなにか」という問いは、上記の酒の話を考えればおのずとその解は「詩とは無限」となる……。

 いま気づく。「無限」とは記号で「∞」である。なんという「詩」を暗示する記号であるか。「∞」は永遠運動のループである。常に交差するゼロからゼロへと帰るこの転倒した八の字が、わたしにいま「詩とはなにか」の回答を与えてくれる。

 なるほど「∞」上を運動することは、ゼロから一つ先へ動きつづける「0+1」の永遠運動ともいえる。とするならば、無限とは「1」という有限数の連続である。わたしは数学は大の苦手だが、高校数学では「無限大」=1であることが数式で証明される(こちらの数学塾のブログサイトはわかりやすい)。「無限」と「無限大」(限りなく無限に近い有限)には大きな壁があるが、いまはどちらでもいい。わたしにとって詩は、つねにゼロから出会いつづける永遠の「+1」であり(冗談のようだが、あの『永遠の0』などではけっしてないのだ)、己の有限の生がこのゼロからゼロへ帰る無限のループのなかにあることへと覚醒させてくれるものなのである。

 その意味で、先に詩は酒のようなものと述べたが、その効用は酩酊ではなく覚醒である。酒を愛するものは知っているはずである。酩酊の心地よさからさらに一歩先の、酔いが覚めたときのあの言い知れぬ快楽に似た感覚を。あれは現実逃避と自己忘却の酩酊から、自らがここに「ある」という確かな感覚への覚醒である。ボードレールの偉大は、その酩酊が、やがて至る万物照応(コレスポンダンス)なる象徴界への覚醒を志向している。この象徴界はけっして俗に考えられている神秘の世界ではない。むしろ自己と世界・自然が完全に調和する完全なる現実を感得する覚醒である。

 間違ってもらっては困るが、なにもわたしはアドレナリンが大量放出される覚醒剤のごとき詩が優れていると述べているわけではない。現代詩にはなにかそうした企図で書かれたと思われる作品が多々あるが、それはボードレール以降の象徴詩から20世紀モダニズムの作品を表層でしか捉えていないといわざるを得ない。わたしの言いたい「覚醒」はそうではない。たとえば有名な、

 

見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやのあきの夕ぐれ

 

をうたった藤原定家の詩をモダニズムと述べたのは塚本邦雄であるが(『定家百首 雪月花(抄) 』講談社文芸文庫 2006)、では定家のいう歌の最高域にある「有心」とはなにか。これは「無心」の対語である。当時「無心」とは仏教における「涅槃」を意味した。これの対概念として、人間の有限の命に抱えこまれている心の有り様を歌うことこそが「うた」の最高域であった。

 これは単に心にある思いのたけを綴るといったものではない。己の内部を精確にメスで切り取る言葉の力量が試されると同時に、つねに「死」=「無」と対峙しながら、いまここに「ある」ことを把持するところの歌心でなければならないのである。そしてなにより「超現実」なるモダニズム標語は、単に日常の現実を超えて夢のごとき無限世界を開示させることではなく、むしろ無限というあたりまえの時空のなかに、ただ一つしかない有限なる自己存在を屹立させ無限をつきやぶる「+1」への目覚めを意味するとわたしは考える。上掲の定家の歌を再度読むといい。ここにいかにも無限界のなかに佇む歌人が「ある」姿がはっきりと浮かびあがる。ボードレールの詩もすべてしかりである。

 ここで最近そうしたことを強く抱いた現代の若い女性の詩を読んだので、引用してみたい。

 

乳母車    添ゆたか

 

毎朝八時

若い夫婦とすれ違う

幸せそうに乳母車を押す

空っぽの乳母車

 

汚れ始めたスニーカーを

見つめながら足を動かす

右、左、みぎ、ひだり、

りゅうざん、ゆうかい、じこ、びょうき

うつぶせ、ちっそく、

じさつ、はないか

 

例えばその笑顔が

べりべりと捲れかけているなら

剝いであげられるのだけれど

くるっているのは辛いでしょう

くるっているからわからないかな

あなたたちは不幸なんですよ

スニーカーがますます汚れる

 

朝八時

若い夫婦とすれ違う

黄ばみはじめた毛布をみつめながら言う

 

「かわいいですね」

 

乳母車を蹴った

私は乳母車を蹴った

空っぽの乳母車を蹴って

逃げた

 

泣き声が聞こえた

 

 

 この詩は、今年の3月までミッドナイト・プレスのホームページ上で「時間泥棒」の連載をしていた添ゆたかが、わたしが5月に都内のライブハウスで行ったリーディング・ライブにゲストで出演し朗読した詩である(なお「時間泥棒」は本人の意思ですべて削除している。またふだん添は朗読活動などいっさいしていない)。

 添の朗読は抑揚を極力抑えた無感情ともいえるものであったが、最終行の「泣き声が聞こえた」を読み終えたあとのしじまでは、あたかもそれまで溜め込めた感情の一切を爆発させる子供の「泣き声」の幻聴を聞いたかのごとくであった。そのとき、そうか、とわたしのなかで、長く閉ざされていた固い扉がゆっくりと開かれたような、ある種の「覚醒」を覚えた。

 扉の先には、薄暗い鉛色の空から夕暮れの雲が赤く血のように大地に垂れ込めている風景──わたしたち日本人の脳裏に否が応でも焼きついてしまっている「日本の風景」がみえた。その薄明のなかで、わたしが長く信じてきた「詩」なるものが、幾千幾万の無名の亡霊によって泣き叫ばれているようでもあった。

 ここで読者はおかしいと思うに違いない。たしかに、この詩には、なんら自然は描かれていない。むしろ都心から少し離れたベッドタウンの住宅街の一風景といえる。わたしはこの詩をある詩と二重写しにしているのである。それは去年のいまごろにこのPoetry Reviwで取り上げた三好達治の同題の詩「乳母車」である。

 

乳母車  三好達治

 

母よ

淡くかなしきもののふるなり

紫陽花(あじさゐ)いろのもののふるなり

はてしなき並樹のかげを

そうそうと風のふくなり

 

時はたそがれ

母よ 私の乳母車を押せ

泣きぬれる夕陽にむかつて

轔々(りんりん)と私の乳母車を押せ

 

赤い総(ふさ)ある天鵞絨(びろおど)の帽子を

つめたき額(ひたひ)にかむらせよ

旅いそぐ鳥の列にも

季節は空を渡るなり

 

淡くかなしきもののふる

紫陽花いろのもののふる道

母よ 私は知つてゐる

この道は遠く遠くはてしない道

 

 

 添のなかで、この三好の詩が念頭にあったのではない。たまたまわたしが同じ題の詩を知っていて、重ねてしまったのにすぎない。しかし今日では「ベビーカー」といえばよいものを、現代の都市に生きる若者がなぜ「乳母車」という題をつけたか。そしてなぜ、その詩に「狂気」を刻んだか。わたしはこの三好達治と添ゆたかの詩を「乳母車」という一点で、あたかも戦前・戦後を反転させた「日本の詩」として読むのである。つまりここに詩の無限の「∞」を感じ取ったのである。

 わたしは、1年前のこの連載で三好達治の「乳母車」がNHKの朝ドラで朗読されていたのをみてこう書いている。

 

「では、このように、三好達治の詩が、戦後詩によって否定されながらも命脈を保ち、いま描かれる「戦中」フィクションのなかで、やはりあの時代の詩を象徴するのは高村光太郎ではなく三好達治だったという事態にぶち当たっていることを、現在の日本との共時的問題としていかに捉えることができるか。

 それは、三島の《詩意識》の源泉でもある「日本浪曼派」しかり、三好が寄った「四季派」しかり、またそれらを戦後批判した鮎川ら「荒地」派の詩人たちの源泉であるモダニズム詩しかり、すべての「戦中」下の詩人たちの失われたアドレッセンスの闇のなかで、三好達治の詩は不穏な横糸となって戦後まで糸を引き、わたしたちの精神の内部で発酵しつづけていたことを意味する。わたしたちはまだ「戦中」の悪を完全に払拭できはしないのである。」

 

 今回は三島由紀夫の問題はあえて遠ざけてみるが、このような歴史意識を抱いているわたしは、三好の「乳母車」が、まさに添ゆたか「乳母車」に直結していると思わざるを得ないのである。

 「自然」から「都市」へ、「母性神話」から「母性崩壊」へ、そして「男性の傷痕」から「女性の傷痕」への反転は、無限にループする「日本の詩」の宿命なのではないのか。つまり、戦前・戦中・戦後とわたしたちは時代の進展とともにつねに未来へむかって発展してきたと思いこんでいるのであるが、果たしてそうであるのかを問いたいのである。事象的に発展していると信じながら、じつのところこの国は(つまりこの国の詩は)同じところを回っているのではないか。

 確かに時代は変わった。科学技術も、情報流通も、なにもかも変わった。戦前、戦中に比すれば、なんという平和で便利な時代だろう。しかし、われわれがよく知っているように、時代が進めば進むほど、血なまぐさい、残虐な、狂気のごとき人間性を露呈する事件が多発している。この国だけではない。世界中でいま起きているのはなぜであるのか。なぜ戦争は起きつづけているのか。

 人間精神は百年やそこらでそう変わるものでないからである。詩は人間が書く。時代時代を反映しながらも、どうしても変わらぬ人間精神を表出する。「乳母車」という詩題はその意味できわめて象徴的詩題である。人間の原点を運ぶ容器としての「乳母車」、それは人間精神の容器として、いまも百年前も変わらない。

 そして近代以降の日本においては、その「乳母車」には誰もいないのである。添のそれも三好のそれも、共通しているのは明らかに人間精神の原型の「欠損」である。三好の「母よ 私の乳母車を押せ」の希求は、母の愛の「欠損」としてのマザー・コンプレックスを言い表し、添の「からっぽの乳母車」は、子への愛の「欠損」としてのチャイルド・コンプレックスを言い表す。これは戦前・戦後の反転構造である。添が最後に書いた「泣き声」は、まさに三好の「泣き声」であり、添が乳母車を蹴って「逃げた」先とは、三好がもとめた「母」の幻影が去っていった「遠く遠くはてしない道」である。

 つまり揺籠のなかで満たされなかった母性愛の「欠損」は、近代から現代日本の精神史を貫き、いまも反転しつづけていることを、両者の詩「乳母車」にわたしは読み取るのである(そこから導かれるのは、この国は戦前も戦後も天皇なる「父性」を頂点にした父権性家族主義国家である点であるが、これについては早急な結論は危険なため今後つめていく)。

 だから、いまは異論を承知で書くが、この「欠損」を埋めるためのものが近代以降の日本において「希求としての詩」となった。三好の詩は読めば読むほど、この世界に一切ないものを求めていることに気づく。いや、三好だけではない。藤村、透谷、朔太郎、中也、道造……わたしが長く読み込んできた近代詩のあらゆるものが「希求」を前提にしている。その「希求」が過剰であるゆえに三好達治は日本近代詩を代表する詩人のひとりとなった。結果、戦中においては不可能な大日本帝国の勝利を「希求」する戦争翼賛詩を書いた。多くの国民の精神がそうだったのである。戦後の知識人の多くが書いていることではあるが、戦前の詩人は実直であればあるほど、みな戦争礼賛へと傾いたのである。「希求! 希求!」それが近代日本の精神だからである。

 戦後、三好をはじめ多くの詩人が戦争犯罪人と位置付けられ抹殺されたが、いま実はその「希求」の精神が蘇ってきていることは、先も引用したこの連載に書いてきたことである。そして思うのである。戦後詩から現代まで、果たして「希求」を脱した詩などこの日本に1篇としてあったのだろうかと。平和と平等をもとめ、繁栄をもとめ、よい国になることをもとめ、いや国ではなく個の自由をもとめ、さらには個の解体をもとめ、あるいは「希求」をしないことをもとめ……いまに至っている。まじめな詩人たちはその時代時代の精神をあますところなく作品に反映させてきた。

 だからこの「希求」という点で、三好の戦争詩とわれわれの詩は本質的になんら変わらぬ代物である。三好が犯罪人であるなら、戦後以降の現代詩も犯罪人になりうるのである。そしてこれはけっして否定することではなく、近代以降の詩の根源的宿命である。添ゆたかの詩が優れていると感じるのは、ここに現代のテロリズム精神の萌芽ともいえる私たち日本人の精神の暗部─欠損を明確に映し出していると考えるからである。

 しかしここからが問題である。

 この国で詩を書く人間、すなわち日本の現代詩人たちは、このことをどれほど自覚しているか。

 わたし自身にも問うことである。平和主義、けっこうである。9条を守れ、けっこうである。わたしもそう願うところはある。しかし現代の日本に生きるわたしは本当に他者への殺意を持たないか。他者への蔑みや劣等感をもたないか。言い知れぬ他者への憎しみにかられないか。ほんとうのわたしの有り様はいったいなにかをいま問いたいのである。なぜなら詩人とは、言葉の最高度の技術で精確にわたしたちの精神を切り取らねばならない存在だからである。

 これも紛れもない「希求」である。「無限」のなかの「有限」なる存在として、自分がここに「ある」ということの「覚醒」をもとめ、これからも詩を読みつづけたい。

 次回は、三好達治が抱え込んだ近代日本精神の宿痾を、もう少し丁寧に、戦後の定説としての「犯罪人」を前提とせずに、「いま」の問題として考えようと思う。