今週の詩
商人 谷川雁
おれは大地の商人になろう
きのこを売ろう あくまでにがい茶を
色のひとつ足らぬ虹を
夕暮れにむずがゆくなる草を
わびしいたてがみを ひずめの青を
蜘蛛の巣を そいつらみんなで
狂った麦を買おう
古びておおきな共和国をひとつ
それがおれの不幸の全部なら
つめたい時間を荷造りしろ
ひかりは桝に入れるのだ
さて おれの帳面は森にある
岩蔭にらんぼうな数学が死んでいて
なんとまあ下界いちめんの贋金は
この真昼にも錆びやすいことだ
谷川雁(1923—1995)の詩は難解である。にもかかわらず、惹かれるのは、そのことばの力に、その断言的な隠喩に、逆らえない魅力があるからだろう。1954年に出版された『大地の商人』の巻頭に置かれた「商人」という詩も、難しくて、なにが書かれているのか容易には摑みがたいのだけれども、一行一行、これはなんだろう……と読んでいくことをやめられないところがある。谷川雁を語るときにしばしば引用されることばがある。
「詩人とは何か。
まだ決定的な姿をとらず不確定ではあるが、やがて人々の前に巨大な力となってあらわれ、その軌道にひとりびとりを微妙にもとらえ、いつかその人の本質そのものと化してしまう根源的勢力……花々や枝や葉を規定する最初のそして最後のエネルギイ……をその出現に先んじて、その萌芽、その胎児のうちに人々をして知覚せしめ、これに対処すべき心情の発見者、それが詩人だ」(「原点が存在する」)
このことばや、あるいは「商人」という詩のなかに、例えばランボーをみつけられると思うが、「汝、足下の大地を画くか。」と問うた谷川雁の「大地」とはいかなるものであったのかをもっと深く考えたいと思う。(10.11.29 文責・岡田)